第067回KARCコロキウムのご案内
第067回KARCコロキウムは終了しました。ご参加ありがとうございました。
開催日時 | 10月14日(金) 14:00~15:00 |
開催場所 | KARC 第2研究棟 3階 中会議室 |
講演 | 「脳科学と倫理」 |
講演者 | 小泉 英明 氏 (株式会社 日立製作所 フェロー、独立行政法人 科学技術振興機構 領域統括) |
講演概要 | やって善いこと悪いこと、そのような判断の源になるのが倫理であった。善いこと悪いことは、その人を取り巻く社会のなかでは絶対的に見えることもあるが、その社会が成り立って行くための都合で定められたものも少なくない。政治制度や宗教の違いなどから議論するだけではなく、自然科学を取り入れたもう少し客観的な倫理が考えられないだろうか。 最近のように、脳の働き(精神活動)が計れるようになると、倫理の問題を脳科学から捉えることも現実の話となってきた。例えば、近赤外線を利用した光トポグラフィという方法では、日常的な脳の働きの一部を安全に描画できる。すでに計測されたのは、感覚・運動・言語・注意・記憶など大脳の働きである。医療応用だけでなく、「脳科学とXX」という形で脳科学と人文・社会科学を架橋・融合し、多くの新分野群創生に役立つ可能性がある。例えば、学習や教育を実証基調の科学として捉えなおす「脳科学と教育」は、現在、急速な展開を見せている。 さらに「脳科学と倫理」という新分野も考えられる。身の危険を察知してすぐさま攻撃・防御する辺縁系や、ご褒美(本能に根ざす快感から名誉まで)を感じる報償系、そして、愛や憎しみの源となる新旧両皮質の関係、さらに「心の理論」と呼ばれる相手の心の動きを推し量る能力まで、各種の脳機能描画を用いて研究できる。人類だけが特に進化した前頭葉(額の裏側)の働きは、人間らしさを生みだす。「心の理論」の延長上にある「他者を思いやり、相手の立場に立って考える」ことは心の温かさであり、今、世界が必要としている倫理そのものかもしれない。 2003年に、ローマ法王庁科学アカデミーの創立400周年記念シンポジウムがあった。ガリレオが中心となって、科学アカデミーが設立されたのは1603年のことである。記念シンポジウムの主要テーマは「脳・心と教育」であった。ローマ法王ヨハネ・パウロII世は「現在、人間の尊厳の意識が薄れて憎悪と殺戮が敷衍している。脳科学は人間の尊厳についても探求し、世界に平和と人間性を取り戻すために努力して欲しい」との趣旨を述べられた。これも「脳科学と倫理」に繋がるだろう。宗教にはご縁のなかった私も、法王が差し伸べて下さった手を握って「人々に役立つ研究を目指します」と申し上げた。 一方で、脳科学自体にも差し迫った倫理問題が生じてきた。脳は究極のプライヴァシーを宿すからである。かつて、一見すると完全な植物状態にあるALS(筋萎縮性側索硬化症)患者さんの脳を、ご家族のご依頼によって東海大学医学部の先生とご一緒にお計りした。ご子息が話しかけると、意味理解を司る脳の一部(左脳のウェルニケ野)が活動する。今度は、ご子息に向かって話かけるよう耳元でお願いすると、発話を司る脳の一部(左脳のブロカ野)が働く。そのとき初めて、この患者さんは、はっきりとした意識をお持ちであることが分かった。さらに、脳機能描画を活用して、2年半ぶりにご家族とコミュニケーションが取れたのである。質問の答えの「はい」「いいえ」で、それぞれ異なることを考えて頂けば、脳機能描画で答えを区別できる。人工呼吸器のもと、想像を絶する苦労をされている患者さんやご家族にとって一縷の光となったと同時に、人間の考えていることを外から知ってしまって良いのだろうかという倫理問題も浮かび上がった。 科学技術自体は中立で、その善悪は利用する側の人間性にかかっていると考えられてきた。だからといって、科学者は何でも興味あることを研究できるというナイーブな論理はもはや通用しない。科学技術の進歩を容認するための倫理ではなく、人間のあるべき姿を求める倫理観が科学者にも要求されている。社会技術研究開発センター(科学技術振興機構)の「脳科学と社会」研究領域でも、子どもたちを調査・研究する前に、研究者に倫理の講習を実施する。また、倫理審査委員会のほかに、新たな脳神経倫理研究グループも発足させた。すでに3月には、小規模のワークショップを実施したが、7月にはイタリアでの国際会議でも、バチカンの大司教を交えてこの内容を議論した。科学者自身も倫理そのものを研究する動きが始まった。 |
使用言語 | 日本語 |
参加費 | 無料 |
担当者 | 情報通信研究機構 関西先端研究センター 脳情報グループ 精山明敏 |