OBからのメッセージ

野島 鉄哉さん(2010年3月 博士課程後期3年の課程修了)

 山元研OBで、現在(2014年末、当ページ執筆時点)イギリスのUniversity of Oxfordで神経系の性差・性行動の研究を行っている野島鉄哉と申します。東北大の山元研には修士課程の2年間と博士課程の3年間、合計5年間在籍し、山元先生や先輩研究者の方々のご指導のもと研究を行っていました。研究室に入った当初ショウジョウバエ遺伝学にまったく馴染みがなかった私に、先生や先輩方は時に厳しく、しかし根気よく研究のイロハを教えて下さいました。そして私が研究室を離れてはや数年の月日が経ち、当時と今とでは研究室のメンバー構成もかなり変わってしまっているようですが、私がいた頃の山元研を思い出しつつ、どのような研究室であるのかここにご紹介いたします。


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University of Oxfordのキャンパスの一角にある有名なHertford Bridge、
通称「the Bridge of Sighs(ため息橋)」。

 これは私が山元研を離れ、他の複数の研究室を見てきた後であらためて気付いたことでもあるのですが、山元研の研究はとてもハイレベルかつ独創的であると私は感じています。ひと言で言い表すと、「きわめて高い精度で行われた実験の結果をもとに、新しい視点を生み出すような発見をする」といったところでしょうか。
 まず「きわめて高い精度で」というところについて一例を挙げるなら、山元研では基本的に単一細胞(群)レベルでの解析が求められます。これの何が高精度なのかと言うと、ショウジョウバエの脳には約20万個のニューロンが存在すると言われており、それぞれの細胞が様々な形態の軸索や樹状突起をその周囲に伸ばし、「相方の」細胞たちと特異的にシナプスを形成して結合することによって、情報伝達を担う神経回路を形成しています。テレビにBD/DVDレコーダーを接続し、さらにWii UやプレステをつないだりUSB接続で周辺機器を増やしたり…を繰り返してタコ足につぐタコ足でテレビの裏側がえらいことになる、というのは多くの人が経験したことがあることなのではないかと思いますが、脳はその何百倍・何千倍以上もアダプタ類が複雑に絡み合って何が何やらわからない「テレビの裏」なわけです。なので、多数のニューロンを一度に標識しても各ニューロンがどういう姿かたちをしているかは判然とせず、遺伝子操作で多数のニューロンの機能を同時に阻害して行動異常が引き起こされてもどのニューロンがその原因なのかはよく判らない、といったことが起こります。そのような事態を避けるために、単一細胞(群)レベルでの標識および操作というのはきわめて重要な意味を持っているのです。単一細胞(群)レベルで解析すれば、「脳のここにある10個ひとかたまりのニューロン群が特定のこの行動を引き起こす」といったような非常に精度の高い実験結果が得られるわけです。技術的には、多くの細胞を一挙に標識したり操作する方が、単一細胞に対してそれを行うよりもずっと簡単です。単一細胞解析の方が技術的に難易度がはるかに高い上、時間と手間がやたらかかる場合が多い。それを研究員はもちろん、研究室に入って数ヶ月の学生までもが当然のことのようにやってしまうところが、山元研の特長の1つであるように私は思います。
 2005年に北海道教育大学の木村賢一教授との共同研究により、ショウジョウバエのニューロンの形態の性差を発見した論文がNature誌に掲載されました(Kimura et al., Nature, 2005)。この研究では、MARCMと呼ばれる遺伝的モザイク作製技術を駆使して、性行動に必要な遺伝子fruitless (fru)の転写が起こっているニューロンを片っ端から単一細胞(群)レベルで標識していってその形態を雌雄で比較し、性差の発見に至ったのでした(fru遺伝子というものが一体何なのかについては当研究室webサイトの他のページに詳しい解説がありますので、そちらをご参照下さい 「研究内容:2.細胞」「研究内容:3.分子」 )。この研究を皮切りに、山元研から単一細胞(群)レベルの解析を行った多数の論文が発表されることとなります。たとえば、fruを発現する脳の特定の介在ニューロン群が雄の求愛姿勢の制御に必要であることを発見したKoganezawa et al., Curr. Biol., 2010や、求愛行動中の脳の神経活動をリアルタイムでモニターすることによりfru発現ニューロンの機能と求愛行動との因果関係を直接的に調べたKohatsu et al., Neuron, 2011fru発現ニューロンが性差を獲得するに至る発生学的プロセスを分子・細胞レベルで解析したIto et al., Cell, 2012などがあります。大学院生が中心となって行った研究としては、Goto et al., J. Neurosci., 2011があります。これもニューロンの性分化の分子メカニズムを調べた研究です。Sakurai et al., Nat. Comm., 2013では、雄からの求愛を受け入れるか拒絶するかを決定する役割を担う雌のニューロン群が同定されました。僭越ながら私、野島も大学院生として山元研に在籍していた当時、上述の木村教授と共同研究を行い、MARCMにより雄特異的筋肉を誘導する単一グルタミン酸作動性運動ニューロンを同定し、その研究結果を論文として発表しました(Nojima et al., Curr. Biol., 2010)。
 現在ではMARCMにいろいろな改良が加えられた新バージョンが報告されていたり、各種flippase系統やsplit Gal4系統を利用したインターセクション解析などが次々に利用可能となってきており、単一細胞(群)レベルでの解析というのはもはや決して珍しいものではなくなってきた感がありますが、山元研で上述の論文群が発表され始めた当時は、この手の研究は少なくとも私たちの研究領域ではほとんど存在しなかったと記憶しています。私が山元研を離れてからかなりの時間が経過しているため現在の研究状況は判りませんが、きっと今でも世界最先端の解析技術を携えて走り続けているのだろうと確信します。

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イギリスに来たらこの1杯!のIndia pale ale(IPA)。

 山元研の特色として、「きわめて高い精度で行われた実験の結果をもとに、新しい視点を生み出すような発見をする」ということを申しました。ではこの後半部分、「新しい視点」とは何でしょうか。語るべきことは数多くありますが、長々と書いてもそれを読まされる方々はたまったものではないとお察しして、これについても以下に一例を挙げるにとどめます。
 上でも少し言及しましたが、ショウジョウバエの脳のかたちには性差があります。「かたち」ということをもう少し詳しく言うと、一部の細胞にはその数や軸索・樹状突起の形態が雌雄で異なるものがあります。また、細胞によっては雄にしか存在しないもの、雌にしか存在しないものもあり、その結果として形成される神経回路のつなぎ方が雄と雌とで違ったものになります。雌雄で神経回路の構造が異なれば、感覚器で受けとられた外界の情報が神経系内部に伝えられて処理されるプロセスは雌雄で異なっているはずで、最終的に生み出される行動にも性差が現れる、というのはなんだか当たり前のような気がしてきます。実際、今では性差を示すニューロンが性行動を生み出すことを証拠づける研究が多数発表されており、当該分野の多くの研究者がこの考えに基本的に同意しているように思われます。ところが、ほんの10年ほど前まではこれは決して当たり前のことではありませんでした。2000年代前半時点ではショウジョウバエの神経系の構造に性差はほとんど見つかっておらず、行動に見られる顕著な性差は雌雄ともに持っている共通の神経回路から何らかの仕方で生じるのではないか、と当時研究者たちが考えていたらしいことが論文の記述などからうかがい知れます。
 このような時代状況において、それに抗うように上述の論文、Kimura et al., 2005は発表されました。そしてその3年後の2008年には、雄特異的なニューロンが求愛行動に必要であるとの研究が、やはり木村教授との共同研究により論文化されました(Kimura et al., Neuron, 2008)。この論文が明らかにしたのは、雄の求愛行動を引き起こすのはどのニューロンか、という問いへの答えでした。野生型では雄は雌を見つけると近付いていき求愛行動をとりますが、雌は決して求愛行動を行いません。そこで、上述のMARCMを用いて脳のごく一部のニューロンに雌化因子transformer (tra)の変異ホモ接合クローンを作製し、そのようなクローン細胞を持つ雌個体の行動を観察することにより、目標の細胞の同定を試みました。traは雌化因子で、その変異体では性染色体の構成に関係なく細胞の性が雄になります。脳のごく一部にのみ雄型の細胞を持つ雌個体が雄のような求愛行動をとったとしたら、その個体で雄化しているニューロンが求愛行動を生み出す機能を持つ、と結論してよいはずです。はたして、そのようなニューロンは見つかりました。それは20個ひとかたまりのニューロン集団で、「P1」と名付けられました。このP1ニューロン群の性が雄にさえなっていれば、全身の他のすべての細胞が雌型の性質を持っていて、そのゆえに外見的にはどこからどう見ても雌にしか見えない姿かたちをしていても、雄のような求愛行動をとるようになったのでした。そして驚くべきことに、このP1ニューロン群は野生型では雄にしか存在しなかったのです。野生型雌ではP1のもととなる細胞が発生の途中でプログラム細胞死を起こして消滅するのに対し、雄ではこの細胞死のプロセスが抑制されていることが判明しました。tra変異体P1クローン細胞では雌化因子traが機能しないせいで細胞死が起こらず、その個体は雄同様にP1ニューロン群が生き残ったまま成虫になるため、求愛行動をとることができる雌になるのです。この結果から、P1ニューロン群は雄にしか存在せず、雌には存在しないという神経形態の性差があるため、雄のみが求愛行動をとるという行動レベルの性差が生じる、ということが示唆されました。
 Kimura et al., 2005で最初に性差の存在が見出された細胞はP1ではなくmALと呼ばれるニューロン集団で、その細胞数と神経突起の形態に性差が見つかったのですが、その時点ではこのニューロン群がどんな役割を担っているのかは判っていませんでした。そこで、山元研究室の小金澤雅之助教(当時。現准教授)はmALの機能を明らかにすべく、MARCMを利用してこのニューロン群の機能を阻害し、それら雄個体の性行動を観察しました(Koganezawa et al., 2010)。その結果、このニューロン群が雄の求愛姿勢の制御に必要であることが判明しました。上述のように、mALニューロン群ではその神経突起の形態に性差が見られ、そのため雄のみでmALが特定の感覚ニューロンの軸索とシナプスを形成している可能性があることを小金澤助教は見出しました。その相手方の細胞は味受容感覚ニューロンで、性フェロモン受容に関与すると考えられていた(実際、のちにそのリガンドを特定したとの報告がアメリカの研究グループからなされました)ため、mALニューロン群は性フェロモン情報をこの感覚ニューロンから受けとり、それに応じて行動の制御を行うものと考えられます。雌では神経突起の形態の違いから、それは明らかに当該感覚ニューロンから離れた場所に位置しており、両者が互いにシナプスをつくっている可能性はまずありません。現在、mALニューロン群が雌でどのような機能を果たしているのかは判っていませんが、雌のmALは雄とは異なる細胞との間にシナプスを形成している可能性が高く、雌は求愛行動を行わないためmALが雌で求愛姿勢の制御に関与しているとは考えられないことから、mALの神経突起形態の性差が神経回路の性差をつくり、その結果として雌雄の行動の違いの1つの側面が生じていると推定されます。
 その後2010年頃から海外の諸研究者たちも、ひと足遅れて神経系の性差と性行動の因果関係に注目するようになり、現在では多くの雌雄で形態の異なるニューロンとその性行動への関与が知られるに至っています。その先鞭をつけたのは間違いなく山元・木村研究グループであり、それは旧来の常識を破壊して新しい視点を探究していく当研究室の真骨頂であると言えるでしょう。
 なお、蛇足ながらひと言付け加えると、性行動に関与すると推定されるすべてのニューロンに性差が見られるわけではありません。というより、現時点で性行動に関与することが知られている、あるいはその可能性が推測されるニューロンの多くには形態上の性差が見つかっていません。本当のところは、性行動を生み出すニューロンの多くが性差を持たず、少数のニューロンのみが性差を示すということなのかも知れません。しかし上述したように、山元・木村グループがfru発現ニューロン群の性差を発見するまでは、雌雄がともに持つ共通のニューロン群が何らかの生理学的・神経化学的機能の違いによって行動の性差を生み出す、との考えが支配的だったのですから、当研究グループによるP1やmALの性差と性行動への関与の発見がどれほど大きなパラダイムシフトをもたらしたか、ご理解いただけることと思います。

 かくして、「きわめて高い精度で行われた実験の結果をもとに、新しい視点を生み出すような発見をする」のが山元研である、との結論に私は到達しました。私はこのような研究室に5年間、大学院生として在籍し、先生や諸先輩方からご指導を受けながら研究に取り組めたことを幸せに思います。ここまで述べてきたようにハイレベルな仕事が要求される研究室ですから、当該研究領域に関して右も左もわからなかった修士課程1年生当時は毎日がとてもハードでしたが、そんな私でも何とか喰らいついていくことでレベルアップできて、それなりにいい仕事ができたのではないかと自負しています(個人的に私をご存知の方々には、お前はまだまだ全然レベル低いじゃないか、とお思いの向きもあるかと思いますが、大学院入学当初の私との比較ですのであしからず)。先生をはじめ山元研のみなさまのおかげです。
 最後に、山元研の研究、およびその領域の研究の歴史や当該分野の他の研究者たちの仕事についてご興味を持たれて、もっと詳しく知ってみたいと思った方がいらっしゃいましたら、山元大輔『遺伝子と性行動 性差の生物学』をお読みになることをお薦めします。約200ページと、教科書的な書籍としては短いページ数で、平易な言葉で書かれていながら、ショウジョウバエの神経系の性差および性行動の研究の歴史に関して知っておくべきことはほぼ網羅されています。とてもおもしろく、スイスイ読破できてしまうことでしょう。この本もちょっと敷居が高い、という方々、山元大輔『浮気をしたい脳 ヒトが「それ」をがまんできない訳』はいかがでしょう。こちらは女性誌に掲載されたコラムをまとめたもので、完全に一般向けの楽しい内容になっています。電子版も発売されており、紙の本をすでに持っている(が、現在手元にはない)私も思わず再購入してしまいました。ぜひご一読下さい。

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名物のsteak and ale pie(牛肉のビール煮込みのパイ)。



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