私たちの研究室では、動物の行動が起こる仕組みを、分子(遺伝子)・細胞(脳)・個体のレ ベルで解明していくことを目指しています。
これら一連の研究から、fruitless遺伝子が脳神経系の主要な性決定因子であり、その産物であるFruitlessタンパク質は、雄の神経細胞(ニューロン)でだけ作られて雌のニューロンには存在しないことが分かった。こうなる理由は、fruitless遺伝子から転写されてくるmRNA前駆体のスプライシングのされ方が雌雄で異なっており、雄型のmRNAだけがタンパク質をコードできる長いORFを持つようになるからである16)。そこでオーストリアのBarry Dicksonたちは、そのハエが雌であろうと雄であろうと、fruitless遺伝子由来のmRNAは常に雄型あるいは雌型になる変異体(それぞれ、fruM、fruFという)を相同組換法によって作成した18,19)。すると、fruM変異体の雌は、まるで自分が雄であるかのように、雄特有のパターンで他の雌に求愛を始めたのである。こうして、雄型のfruitless mRNAを持つ(=Fruitlessタンパク質を持つ)か持たないかによってショウジョウバエの性行動が雄型になるか雌型になるかがほとんど決まってしまうということが明らかになった18,19)。それまで我々はfruitless遺伝子研究をリードしておきながら、この鍵となる実験でDicksonにまんまとやられたと、ほぞを噛んだが後の祭りであった。
しかし、我々はその時、皆をあっと言わせる次の一手を着々と準備していた。DicksonもBakerも、相同組換え法でfruitless遺伝子にGAL4を挿入したショウジョウバエ系統を作出して、fruitless遺伝子を発現する脳のニューロンをおおまかに可視化し、雌雄で比較したが、これといった違いを見つけることができず、Fruitlessタンパク質の有無によって生じるはずの性差はニューロンの生理的性質の性差であって、構造上の違いはないのだろうと主張していた18-20)。それに対して我々のチームは、北海道教育大学の木村賢一氏が中心となり、MARCMと呼ばれるクローン生成法によってfruitless発現ニューロン一つ一つをクローンにして標識し、それらを網羅的に同定していった。その結果、同一のニューロンが雌雄ではっきりと違った形態をしている事例を発見するに至ったのである21)。この発見の舞台となったfruitless発現ニューロンはmALという名の介在ニューロン集団(ニューロンクラスター)で、次の3つの特徴で性差を示す。第一はクラスターを構成するニューロンの数が雌では5個、雄では30個である。第二に、雄のクラスターには細胞体と同側をまっすぐ食道下神経節へ伸びる神経突起が存在するのに対して、雌のクラスターは同側の突起を完全に欠いている。第三に、反対側神経突起が食道下神経節に形成する樹状突起叢先端は、雌ではY字型に分岐するのに対し、雄では単調に狭まって終わっている。単一同定ニューロンでこんなにはっきりした性的二型がみつかったのはこれが初めてであり、その論文はNatureに受理、掲載され、その性的二型ニューロンの大写しの画像が掲載誌の表紙を飾ったのだった。その後、英国のGreg Gefferisのグループ22)やDicksonのグループ23)によってfruitless発現ニューロンの網羅的同定がさらに推し進められ、それらの多くに性差のあることが明らかにされた。
ニューロンの形態的性差発見は、大きなエポックであった。しかし、発見されたニューロンの性差の意味、特に行動に果たすその役割はこの時点では不明のままに残されていた。そこでこの問題にアプローチするため、木村らは上記のMARCM法によって雌の脳の一部のニューロンだけを雄に性転換して、そんな“性モザイク”個体がどのように行動するかを調べたのである。もし、“雄らしい行動”を作り出すニューロンや“雌としての行動”を作り出すニューロンといったものがあるとしたら、そうしたニューロンさえ性転換してしまえば、脳のその他全ての性、あるいは体の性がどうであれ、その個体の行動の性が転換するはずである。雌の脳の数十個のニューロンだけを雄に性転換することで、はたして雌に雄らしい行動をとらせることは可能なのだろうか。その答はイエスである。木村ら24)は脳の一部にニューロンだけを雄化した200頭以上の雌個体の性行動を観察し、うち16頭が雌にも拘らす雄として行動して他の雌に求愛したのである。この行動観察の後、全ての被験個体から脳を摘出し、組織染色によってどの細胞が雄化していたのかを決定していった。すると、雄の行動をした雌個体のうち13個体(81%)に共通して雄化されていたニューロン群があった。注目すべきことに、そのニューロン群は本来雄にしか存在せず、雌にはない雄特異的ニューロン群だったのである。つまり、上記の雄の行動をした雌の多くでは、雌の脳内に本来ない筈の雄特異的ニューロン群が形成されていたことになる。この雄特異的ニューロンクラスターはP1クラスターと呼ばれ、fruitlessを発現するほか、もう一つの性決定因子のdoublesex (dsx)をも発現する。このdsx遺伝子はfruitlessとは違って、雌のmRNAも雄のmRNAもタンパク質をコードしている。しかしこのタンパク質の構造が一部、雌雄で異なり(それぞれDsxF、DsxMという)、その結果、雌雄で違った効果を発揮する。P1ニューロンが雌にない理由は、雌固有のDsxFタンパク質がP1ニューロンを細胞死させるためである。これに対して上述のmALニューロンでは、雄にしかないFruitlessタンパク質が細胞死を阻止して、雄でのみ生存を許すため、雌に比べてはるかに多くのニューロンが雄に存在するようになる。
P1クラスターの行動に果たす役割は、これらのニューロンを強制的に活性化する実験によっていっそう明快に示された。dTrpA1というイオンチャンネルは、温度が30℃近くに上昇すると開口して、ニューロンに興奮を引き起こす。そこでこのdTrpA1を持つ形質転換ショウジョウバエを作成し、それをfruitless発現ニューロンに強制発現させれば、ハエのいる場所の温度を上げ下げするだけで、fruitless発現ニューロンの興奮をオンオフできるわけである。さらに上述したMARCM法と組み合わせれば、周囲の温度を変えるだけで、脳内のごく少数のニューロンの活動をオンオフできる仕掛けである。こうしてP1ニューロンクラスターを強制的に活性化させると、自分ひとりしかそこにいないにも拘らず、雄が求愛行動をくりかえすことを、山元研の小金澤雅之ら25)が発見した。さらにP2bという別のニューロンクラスターを強制活性化することによっても、単独の雄に求愛行動を引き起こすことができた。P1ニューロンは脳の左右をつなぐ突起を持つものの脳の外へは突起を伸ばしていない。一方、P2bニューロンは脳から胸部神経節へと長い軸索を伸ばしている。胸部神経節には、翅や脚の動きをコントロールするセンターがあり、P2bニューロンはおそらくP1ニューロンが下す求愛開始の司令を、胸部の運動中枢に伝送して、実際の運動を駆動する役割を果たしているのであろう。Dicksonグループ26)も同様に、雄の求愛を開始させるニューロン群としてP1ニューロンとpIP10(P2bの一部と思われる)とを同定し、さらに胸部神経節でラブソングのための運動出力を形成するニューロン群をいくつか同定している。
山元研の古波津創25)は、キイロショウジョウバエの雄を背中で金属針に固定し、脚には発泡スチロールの球を抱かせることによって、その個体が定位置にありながらも自由に球の上を歩けるように工夫した。この拘束雄の前脚に雌の腹部を持っていき、触らせると、拘束雄はすぐに求愛を開始する。ハエの前脚には味覚の感覚器があり、それを介して雌の体表成分(炭化水素の性フェロモン)を感知するのである。そんな拘束雄の頭部クチクラに窓を開け、脳を露出させる。脳内のfruitless発現ニューロンにはyellow cameleonを発現させておく。ニューロンは興奮すると細胞内Ca2+濃度を上昇させるが、yellow cameleonという蛍光タンパク質を用いるとCa2+濃度上昇を蛍光変化によって感知することができる。古波津はこれらを組み合わせ、雌に求愛中の拘束雄の脳内fruitless発現ニューロンからCa2+シグナルを記録した。しかもMARCM法によってfruitless発現ニューロン数十個にだけ、yellow cameleonを発現させて、この実験を行ったのである。この神業的実験によって、雄が雌にタッチして性フェロモンを感ずるとP1ニューロンが興奮することを実証したのである。
上記の実験で、雄は雌に触ってフェロモンを感ずると求愛を開始するが、求愛を継続するためには雌が動くのを見続けることが必要であった。つづく実験では、フェロモンの知覚の代わりにP1ニューロンを直接、刺激し、動く雌をみせる代わりにコンピューターのディスプレーを雄に見せ、そこに動く梯子状パターンを映し出してみた。ニューロンの直接刺激には、光に当ると開口するチャンネルタンパク質、チャンネルロドプシンをニューロンに発現させて光照射する方法を使った。すると雄は、これらのニセ刺激に“騙されて”、せっせとコンピューターに向って求愛したのだ27)。
こうして、雄の求愛行動を開始させる意思決定がP1という特定のニューロン集団によってなされることが分かった。しかし、雄の脳がいろいろな感覚情報をどのように収集・解析してP1ニューロンに送り込むのか、P1ニューロンはどのような機構で意思決定を行うのか、運動司令はいかに組み立てられるのか、など未解明の難題は山積している。これらの解明は現在、当研究室で精力的に行われている最中だ。
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