私たちの研究室では、動物の行動が起こる仕組みを、分子(遺伝子)・細胞(脳)・個体のレ ベルで解明していくことを目指しています。
山元が行動を生み出す遺伝子を突然変異の分離によって探ろうとした背景には、ナチュラリストとしてのある思いがあった。私は筋金入り“虫屋”で、虫で飯が食えればという思いが実り、こうして生命科学研究科・理学部生物学科にご奉公する身となったのである。かつて山野に蝶を追い、同じ種でも一山越えれば斑紋に違いのある別亜種となっている不思議を思った。食草の違いと斑紋の違いは相関するのだろうか。その後蛾屋に転向し、まだまだ新種が出るガの深みにはまっていった。外見上、まったく区別がつかないのに、成虫交尾器形態や幼虫刺毛配列でははっきりした違いがあって別種と判断される同胞種たち。いったい、種って何なんだろう。当時、地理的隔離は種分化の絶対条件のように言われていたが、虫屋の現場感覚はそれになじまない。何を食べるか、どんなところに住むか、それは行動の違いである。行動の分化から同所的な種分化へ、それは学生時代に懐胎して今日まで私の中に住み続ける想念である。この仮説を検証するには、まず特定の行動を制御する遺伝子を同定し、その行動を近縁種間で違ったものにした変異、進化の過程で生じ保持されてきた変異を、同定した遺伝子の中に特定することが必須となる。しかし当時(今とてそうかわらないが)、行動の制御にかかわる遺伝子など、何一つ知られていなかった。となると自分で行動制御遺伝子を見つけることから始めるしかないではないか。ということで、今日に続く行動制御遺伝子の探索へと向かったのである。つまり、まず進化ありき、ということなのだ。
しかし、種分化の契機となる行動の変容、そのもととなる神経回路の変化、さらにそれを規定する遺伝子の変異、という3階層にわたる研究はいばらの道、というか道などないところを突き進むこととなる。一般にはあまり知られていないが、ハワイ諸島は“ショウジョウバエ進化のガラパゴス”とでも表現すべき場所である。世界に2000種といわれるショウジョウバエのうち約1000種があの狭いハワイ諸島に生息し、しかもその多くがハワイにしかいない固有種ときている。その中には、雄がサソリのように頭上におしりを持ち上げて雌に求愛するadiastolaがいる。雄同士が縄張り(レック)をめぐってシカのように頭突きで争うheteroneuraは雄だけ頭部が金槌型に変化している。形態も行動も千差万別に分化したハワイ固有のショウジョウバエだが、各200種の染色体を比較したHampton Carsonの研究によると、1回から数回の染色体逆位によって、それらの全ての種の染色体パターンは一つの共通の祖先型に一致させることができるという。Carsonはこの事実から、これらの種はたった一頭の大陸から来た雌に由来すると結論した30)。ハワイ諸島の地史はカリウム―アルゴン年代推定によってはっきりとわかっており、現在存在するなかで最も古いのはカウアイ島の約400万年、ついでオアフ島が約300万年、ラナイ島が約200万年、モロカイ島が約180万年、マウイ島が約150万年、そしてハワイ島が約40万年というように、西から東に向かって順次新しい島が並んでいる。この島々は火山島で、噴火によって次々に生まれ、ハワイ島の南東側では今も海底火山の活動が続いている。ショウジョウバエのハワイ固有種は飛翔力が弱く、その生息地は特定の島の中のほんの小さなスポットに限られている。たとえばpicture wingと呼ばれる100種余りのグループの種は、ゲノムの読まれたgrimshawiを除けばその生息地は一つの島に限られている。しかも、島の特定の場所にしかいない。溶岩流によって生息地が細かく分断されることで集団が分割され、種分化が進んだとされている。そのため、生息する島がどれであるかによって、種分化の起こった年代が推察できる。上記の染色体逆位に基づく分岐図は地史データともよく一致している。
そこで、ERATO実施時にハワイ大学に研究室を開き、現地でハワイ固有種の比較研究をすることにした。ハワイのショウジョウバエは大型のものが多く、脳もきっと大きいから電気生理実験に有利だろういう考えもあった。脳のニューロンから微小電極法で細胞内記録をすることにかけては右に出るものなしの斯界きっての達人、本田技術研究所の近藤康弘氏をERATOに誘ったが、色よい返事をもらえない。ふと「ハワイでやるんだけど」と漏らすと、手のひらを返したように「行きます!行きます!」。ハワイ固有種は上記のように生息地が限られていて、簡単には見つからない。しかし、ハワイ大学の分類学者のKen Kaneshiroはその“全て”を知る人物である。彼の全面的な協力を受け、各島のジャングルをめぐってショウジョウバエを採集した。時にはヘリコプターを動員して。近藤は40種を超える固有種を手に入れ、嗅覚情報処理の脳内一次中枢、触角葉の三次元再構成をひたすら実行した。その結果、驚くほど顕著な性的二型を触角葉に発見したのだ31)。実は、すでに述べたfruitless発現ニューロンでの性差発見よりも数年前に、近藤によるこの発見はなされていたのである。触角葉は、ヒトの嗅覚一次中枢の嗅球とまったく同じように、一つ一つの神経叢が丸まって糸球体という構造をとり、まるでブドウの房のような構造をしている。この糸球体が機能の単位で、違った匂いを感ずる感覚ニューロンはそれぞれ違った糸球体に情報を送っているのである。ショウジョウバエの場合、50個余りの糸球体がある。そのうち外背側部にある二つの糸球体が、adiastola亜群のsetosimentumという種で極端な性差を示していた。特にDA1という糸球体はこの種の場合、雄で雌の7倍以上も大きいのであった。setosimentumはハワイ島に生息しているので、adiastola亜群の一番新しい種である。この発見の直後は、adiastola亜群はみなDA1糸球体が雄で巨大化しているに違いないと考えた。そこで、一番古い島、カウアイ島のadiastola亜群の種、ornataを調べたところ、案に反して、DA1には全く性差がなかったのだ。その後、各島の種を順繰りに調べ、結局、モロカイ―ラナイ―マウイ島(この3島はもともと一つだったものが「割れて」3つになった)で性差は生まれ、その後定向的に雄での大型化が進んでいったという結論に達した。
DA1糸球体の雄での大型化は、別の分枝(clade)にも生じていた。特に顕著な大型化はantopocerus種群に見られる。不思議なことに、系統樹の上でこのantopocerus種群とadiastola亜群の間に位置するmodified mouth part種群には、雄での糸球体大型化の兆候は全く見られないのだ。ということは、この2群に見られる糸球体大型化は、大きな糸球体を持つ共通祖先からその性質を受け継いだのではなく、独立に獲得した形質であることを暗示している。また、もっと小さな雄糸球体大型化は他のcladeにも認められる。独立起源でありながら同じ糸球体が大型化する。これは大型化する潜在的性質を持つのが特定の糸球体に限られている、あるいは、この糸球体を雄で大型化させる要因が系統を越えて存在することを意味するであろう。DA1糸球体を雄で大型化させる遺伝子は何なのか、大型化をもたらす変異がcladeごとに生じているのか否か、それが鍵となる疑問である。
実は、遺伝解析の可能な実質上唯一の種、melanogasterでも、ハワイ固有種のような極端な変化ではないものの、DA1糸球体とその隣のVA1v糸球体に有意な性差が認められる。そこで、木村賢一氏がfruitless変異体でこれらの糸球体の性差を調べてきたが、はっきりした変化は検出できなかった。しかしそこであきらめないのがプロである。木村氏はfruitlessのスプライシングに性差をもたらす直接の要因となっているtransformer(tra)に照準をあわせ、再度アプローチした。Traは雌化因子であり、XXの性染色体構成を持つ雌でtraが機能を失うと、その雌は完全に雄化してしまう。逆に、本来traの機能していない雄(XY)で正常型のtra(tra+)を強制的に働かせると、その雄は雌化の兆候を示すのである。そこで木村は、触角葉に軸索を伸ばしている感覚ニューロンを発生段階で作り出す上皮性組織にtra+を強制発現させてみた。すると、雄のDA1糸球体の大きさは雌と同じ程度にまで小さくなったのである。この結果から、Traやその標的のfruitless、dsxを含む“性決定カスケード”の遺伝子が、糸球体性差の種による違いに関与する可能性が示唆されることとなった31)。
我々は、性差を示すDA1糸球体が、性フェロモン情報の処理に関与する可能性を想定した。その理由は、ゴキブリやスズメガで触角葉のほぼ同じ位置に雄で大型化した巨大糸球体複合体の存在がすでに知られており、この巨大糸球体複合体は性フェロモン処理のための専用回線として機能することがわかっていたからである。近藤らの成果をまとめた論文は紆余曲折の末、2003年に発表された31)が、その2年後、Dicksonらはfruitlessのノックイン系統によって感覚ニューロンの投射様式を調べ、fruitless発現感覚ニューロンが性差のある3糸球体、DA1、VA1v、およびVL2aに特異的に軸索を投射することを報告した18,19)。されに彼らは、DA1糸球体に伸びるfruitless発現感覚ニューロンが、雄由来の抑制性の性フェロモン、cis-vaccenyl acetate (cVA)に応答することを2007年に報じている32)。続いて、嗅受容体の同定でノーベル賞を受賞したRichard Axelのグループ33,34)によって、さらに高次のcVA情報処理経路が解明され、その経路が全てfruiltess発現ニューロンによって構成されていることが明らかとなった。
糸球体の性差が種特異的に形成されるところに、やはりfruitless遺伝子がかかわっていたのか。その可能性は高くなったと言えるが、実験的な検証は全く進んでいない。ハワイ固有種は現地でなければ手に入らないものが多いのだが、ERATOの1999年終了と共に、私のラボはハワイから撤収せざるを得なくなった。実験の継続は難しくなったのである。
しかし、進化、特に種分化の理解への情熱は全く醒めてなどいない。むしろ、ますます高まっている。そこで、現在は研究室で問題なく飼育できる種を用いて、行動の種特異性とその進化へのアプローチを試みている。たとえばsubobscuraという種の雄は、口移しで雌に“栄養液”をプレゼントして雌にプロポーズする。こんな行動はどのようにして進化してきたのだろうか。脳に特殊な回路が作り出されているのではないか。こう考えて、subobscuraのfruitless遺伝子調節領域をmelanogasterに“移植”し、それによって行動の種間移植ができないかと、チャレンジを始めた。
そうこうしているうちに、生物学の“かたち”を丸ごと変えてしまうような革命的事態が勃発した。どんな生物でも遺伝子を操作出来るようになったのだ!これまで、遺伝子の導入や改変と言えばごく限られたモデル生物でしか実質上出来なかったのは上述の通りである。なので、一流誌に登場する生物は常連たちに独占されてきた。無脊椎動物ならCaenorhabditis elegans(この子だけ、単に“線虫”と呼ばれている不条理)とDrosophila melanogaster (そう、われらがキイロショウジョウバエ!)、脊椎動物ならDanio rerio(ゼブラフィッシュ)にMus musculus(マウス)、植物となればArabidopsis thaliana(シロイヌナズナ)と相場が決まっている。まるで生物学者の知っている生物は、これらの10に満たない種だけかのような、そんな錯覚さえ引き起こす昨今だったのだが、「これは驚異だ!」と思う超面白現象は、往往にして「それ以外」の種に見つかるものなのだ。面白いけど手が出せない、それがジレンマだった。ところが2013年にこの状況が一変したのである。その起爆剤となったのはCRISPR-Cas9を使った遺伝子編集技術の誕生である。CRISPR-Cas9はもともと細菌がプラスミドなどの侵入者をやっつける“免疫機構”として使っていた仕組みで、外敵のDNAをCRISPRという誘導役RNA(ガイドRNA)を介して配列特異的に認識し、そこにCasというDNAを切断する酵素を送り込んで切り取るのである。この仕組みを応用して、狙ったゲノムの一部分を抜き取ったり、そこに別の遺伝子をはめ込んだりする手法が開発された。このゲノム編集技術はめちゃくちゃ効率がよく、しかも、設計したガイドRNAを受精卵に注射するだけで目的を達することができるので、これまで遺伝学的技術や発生工学の通用しなかった生物種にも楽々適用できるのである。2013年、CRISPR-Cas9法が登場した時に、“海のものとも山のものともつかない”方法だけど、まあ、やってみようということで、この年に修士課程に入学した田中良弥がD. subobscuraを相手に試してみることになった。まずはキイロショウジョウバエで汎用されている可視マーカー、yellowとwhiteのsubobscura版を作ることを目標に据えたのだったが、その達成には1年を要さなかった35)。驚くばかりのスピード!そして、2017年には、赤色光で活性化されるチャンネルロドプシン、“クリムゾン”と蛍光可視マーカー、“ヴィーナス”をコードするDNAが、D. subobscuraのfruitless遺伝子に挿入されたのだった36)。この挿入変異体、frusoChrimVの雄に光を照射してfruitless発現ニューロンのサーキットを強制的に活性化させたところ、この種に特有の求愛作法である婚姻贈呈の一部、消化物の吐き戻しが誘発されたのである!求愛ホットラインであるfruitless発現サーキットに、おそらくは摂食行動プログラムの為に存在していた“吐き戻し神経機構”が追加されることで、D. subobscura特有の婚姻贈呈が進化した、というのが我々の仮説である。この結果を報ずる論文がonlineで公開されるやいなや、Newsweekは動画付きでこれを報じた。“雄の脳は雌にプレゼントをあげるようにプログラムされている”と題する我々のプレス発表は、「日本の研究ドットコム」サイトで、その週のアクセスランキング第2位にまで登りつめたのだった。こうして、“非モデル種の超面白現象に直接アプローチする”という生物学のこれから、を我々自ら体現することとなった。
D. subobscuraは、モデル種であるD. melanogasterとは系統的に相当離れたところに位置する。新しい行動要素が付け加わる場面を想像すると、それは古くから続いてきた生物の種集団から、それとは少し違った亜集団が分離する際に起こるのではないか。であれば、種分化が起こって間もない集団間での行動の変化、神経回路の変化、その背景にある遺伝子の変化、それを捕らえられれば、行動の進化の現場を押さえたと言えるだろう。その観点に立って、melanogasterとの間に1代雑種を生じる同胞種、simulansの配偶者選択行動は、脳のどのニューロンによって担われているのか、melanogasterとその回路はどう違うのか、これも大きなテーマとなっている。これまで、形態の進化を遺伝子レベルで理解しようという研究は多々あり、Evo-Devoと呼ばれる研究分野へと成長した。しかし、行動の多様化とそれを支える神経回路の変化を遺伝子レベルでとらえようという試みはほとんどなされていない。我々はこの未知の世界をEvo-Devo-Neuroと名付け37)、今まさに探査を開始したところである。
fruitless splicing specifies male
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single class of olfactory neurons mediates behavioural responses to a Drosophila sex pheromone.
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J. Neurosci. [Epub ahead of print]
Genetic and neural bases for species-specific
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