18歳のときに、サーフィンをしている友人に勧められて始めたのが、ボディーボードとの出会いです。その頃は、ボディーボード自体、日本ではあまり知られていなかったのですが、もともと泳ぐことが好きだったこともあって、すぐに「やってみたい!」と思いました。
それまでの私は、耳が悪いということについて、いろいろな葛藤を抱えていました。部活に入ってもなかなか認められなかったり、高校のときに英語のコースに行きたくて頑張ったのに、ヒヤリングがあるのでダメだと言われたり。そういう経験をするたびに、何をやっても叶わない、頑張ったっていいことなんてない、と諦めてしまっていたのです。
でも、ボディーボードで海に出たときに、誰に対しても平等に向かってくる波をみて、「なんて差別のない世界なんだろう」と。やっと自分の世界を見つけた、という気がしました。20歳で「あと5年で耳が全く聞こえなくなる」と宣告され、人工内耳の手術を勧められたときも、手術を受けるとボディーボードなどの危険なスポーツはできなくなると言われ、断りました。ボディーボードで生きていこう。そのときにはしっかりと決めていました。
その後、親元を離れ、小笠原や八丈島にわたって"波乗り修行"をしました。修行の日々は大変でしたが、それでも海の上では、辛いと思ったことはあまりなかったです。耳が聞こえないことを忘れさせてくれたことが、とにかく嬉しくて。逆に陸で、アルバイトを探しても落とされてばかりいたことの方が辛かったです。東京にいれば必ず誰かが助けてくれたけれど、小笠原では私を知っている人は誰もいないし、自分からコミュニケーションをとっていかなければいけない。自活していくために、毎日必死でした。
それでも、そのときの経験から、働くことに対して自信を得ることができました。修行時代は、ボディーボーダーとしてだけではなく、一人の人間として生まれ変われた転機でもあったと思います。
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原本作成日: 2011年2月22日; 更新日: 2019年8月19日;