今回の連載では、株式会社博報堂の井上滋樹さんにお話を伺います。
井上さんは、年齢差や障害の有無を越えて、あらゆる人の立場に立って公平な情報とサービスをハード面だけでなくソフト面でも提供する「ユニバーサルサービス」の重要性を提唱し様々な活動を展開されています。2004年5月には「ユニバーサルサービス」という著書も出版されています。
井上さんの考えるユニバーサルサービスとその課題や展望はどのようなものでしょうか。
問題を意識するようになったきっかけは家族との生活の中にありました。自分の子供も含めて4世代7人でひとつの家に住んできましたが、その生活の中では「赤ん坊や老人や妊婦にとって、家の中や町のどのような構造がバリアになるのか、どのような工夫がそれを改善するのか、家族皆が使いやすい家電製品とはどのようなものか、情報が適切に伝わるためには・・・」といったことを自然に考える機会がたくさんあったのです。
例えば、私が広告の仕事で初めて制作したパンフレットを祖母に見せた時に「字が小さくて読めない」、読んで聞かせても「カタカナ言葉が多くて内容が分からない」という指摘を受けました。私は、自分が一所懸命に作ったパンフレットの内容が家族にさえ伝わらなかった事にショックを受けて、広告の仕事をしていく中でも「より多くの人に伝わるコミュニケーション」を追求するようになりました。
昨今、「ユニバーサルデザイン」という言葉が知られるようになって来ました。これは、全ての人にとってできる限り利用可能なように製品や建物などをデザインすることを意味するもので、その重要性は言うまでもありません。しかし、生活のバリアになるのは建築物や商品などのハード面だけではないのです。コミュニケーションや人的サポートなどのソフト面の充実も非常に重要だと考えています。年齢差や障害の有無を越えて、あらゆる人の立場に立って公平な情報とサービスを提供すること、これが「ユニバーサルサービス」です。
例えば、町の中の段差を無くしていくことは車椅子で生活をしている人の社会参加のために欠かせない取り組みです。しかし、現実問題として町の中から完全に「段差」をなくすことはできませんので、車イスの方は様々な場面で人的なサポートを必要としています。
また、視覚障害や聴覚障害がある方は、生活の中でハードの問題だけでなく、情報が得られない、サポートが得られないといったようなソフト面の問題をたくさん抱えています。ユニバーサルデザインの普及にあわせて、町の中のあらゆる場面で必要な情報や周りの人のサポートが得られる社会に近づいていくことを願っています。
多くの人はこれまでの生活で、障害のある方との接点が無かったり極端に少なかったりしために、どのように接すれば良いか、どのようなサポートが適切か分からないのではないでしょうか。例えば、点字や手話を知らないからといって、視覚障害や聴覚障害のある方とコミュニケーションが取れないと思っていたら、それは経験や知識の不足から生じた誤解です。まずは、多くの方に、障害のある方の存在とその生活を知っていただくことが重要だと思います。高齢者・障害者は特別な存在ではなく、私達の家族のことであり、私達自身のことなのです。
出典:「ユニバーサルサービス」 岩波書店 井上滋樹著 、イラスト 高橋哲史
最近の調査の結果では、「ユニバーサルデザインに配慮した商品を買いたい」、「取り組んでいる企業を評価したい」という傾向が表れています。実際に様々な場面で、生活者のニーズに沿って商品やサービスを開発し提供することで、生活者がそれを支持し、提供する企業に何らかの利益をもたらすという好循環の兆しが感じられるようになってきました。これまでは経済至上主義で企業は市場ばかりを見てきましたが、これからはそれに加えて人がどこで困り何を必要としているかに着目することが重要になってきたのです。CSR(Corporate Social Responsibility 企業の社会的責任)やSRI(Socially Responsible Investment 社会的責任投資)の一つとしてもとらえることができます。今後も、企業と生活者間の好循環が今後ますます広がっていくことを期待しています。
先日、シンガポールで行われた第7回高齢者国際会議に参加してきましたが、日本は高齢化先進国国として各国から非常に注目されていると感じました。これから世界中で高齢化が進んで行きますので、日本企業はもっと世界の高齢者のマーケットに注目すべきでしょう。今、高齢化社会を乗り越えていく様々な仕組みの開発が求めれています。
あらゆる人が必要な情報をリアルタイムで得られるための「情報保証」は基本的人権の問題だと捉えています。仮に障害があったとしても、町に出る、映画館に行く、買い物をするといった生活に関わる全ての情報を障害のない人と同じように得られる環境が必要とされています。情報へのアクセスにバリアが無いということはもちろん、コミュニケーションを考えるとタイムラグ無くリアルタイムで同じ情報を得られるということも大変重要です。
インターネットの普及や、携帯電話の登場は、障害者が今まで抱えていた情報のバリアを大きく取り払うことに貢献しています。視覚障害、聴覚障害、肢体不自由など様々な障害のある方の情報の利用、コミュニケーションの手段が格段に広がったのです。しかし、せっかくの恩恵も、ウェブのアクセシビリティやユーザビリティ、パソコンや携帯電話のユニバーサルデザインなどの対応をしていかないと、新たな情報のバリアが生まれてしまいます。また、インターネットをまだ活用していない人がいるということも忘れずに、情報を発信したりサービスを提供したりするべきです。
障害の種類は様々で、また同じ障害のある方でもコミュニケーションの手段は複数あるのが普通です。したがって、コミュニケーションの多様なチャンネルが用意されるということが重要になります。メディアを例に取れば、インターネットもあれば、テレビもラジオもあるということが大切です。映像には、字幕や音声解説などを出来るだけ取り込んでいくことが必要でしょう。対面のコミュニケーションでは、例えば聴覚障害のある方とのコミュニケーション手段は、手話だけではありません。聴覚障害のある方でも手話のできない方がいます。口話や筆記、ジェスチャなどコミュニケーションには多様な手段があるということを知っておくことが重要です。
出典:「ユニバーサルサービス」 岩波書店 井上滋樹著 、イラスト 高橋哲史
ユニバーサルデザインは、高齢者・障害者のためだけのデザインだと思われていることがありますが、それは間違いです。ユニバーサルデザインは、若い人、障害の無い人にとっても魅力的で使いやすくなければなりません。高齢者や障害者のことも充分に知った上で、若い人にも訴求するデザインを目指す必要があります。
制作の過程では、デザイナーと衝突する場合もあります。しかし、「特定の人のためにデザインを変更する」ということではなく、「情報を全ての人にきちんと伝えるというのは広告の使命だ」という考え方で話をします。その都度、いろいろなニーズを聞きながら、分かりやすさや情報量の問題など様々な要素を考えながら制作していきますが、広告にとってクリエイティビティが重要であることに変わりはありません。
これまで私達は、自分のことであまりに手一杯になってしまい、自分の住む地域のことを考える余裕の無い生活を送ってきました。私は、自分の身の回りの地域からユニバーサルサービスを考えていくことの重要性を「半径1キロメートル社会」と呼んで提唱しています。生活している身の回りを見渡せば、様々な解決すべき問題点がみえてきますし、その問題点を解決することのできる時間をもてあました高齢者の方に出会うかもしれません。また、人は自分に身近なことであれば、真剣に考えますし、有効なアイデアがたくさん生まれてくるものです。そのような視点で少しずつユニバーサルな社会を目指していくことが大切だと思います。
良い循環が生まれている例があります。ある高齢化の進んだ商店街で、300円を払うと買い物をした商品を家まで宅配してくれるサービスが始まりました。この宅配を手伝っているのが精神をわずらったことのある人達なのですが、町の人と交流が生まれたことにより偏見がなくなりました。障害者が町に出たことで、偏見がなくなり障害者が職を得ることが出来て、高齢者の買い物客は手ぶらで家に帰る、という好循環が生まれつつあるのです。これまで身近でなかった存在でも、触れ合う機会を作ることが解決に繋がっていくというひとつの例だと思います。
これからの高齢社会に情報やコミュニケーションなどソフトの領域の充実が重要であることは明かです。エルダーたちは、仲間と一緒に行く旅が大好きです。また、孫とふれあい、様々な人とコミュニケーションをしたいといった強い願望があります。そういう広い意味も含めて「ユニバーサルサービス」の普及に務めていきたいと思ってます。また、まちづくりや『ユニバーサルデザインの考え方を拡大し、サービスや社会資本整備などにも幅広く取り入れられる理念、すなわち「ユニバーサル社会」』の創造に本格的に取り組んでいきたいと思っています。
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原本作成日: 2002年4月1日; 更新日: 2019年8月19日;